おしごとはくぶつかん

創業者物語そうぎょうしゃものがたり ~ おしごとヒーローでん «第1回»

今日の「新聞」の基礎をつくった

村山龍平1850-1993年

村山龍平
朝日新聞創刊当時の村山龍平
【つくった会社】朝日新聞社
【産まれた場所】三重県
「新聞は大衆のものであって、断じて一部の人々に限られていない」
明治12年の創刊当時、新聞は一部の知識人が読むものと考えられ、ふりがなつきの新聞は軽蔑されていた。だが、誰でも読める新聞を作りたいと考えた村山龍平は、すべての漢字にふりがなをつけた新聞にこだわった。
創刊当時の社屋
創刊当時の社屋

朝日新聞は1879年(明治12年)1月25日、大阪で創刊第1号を出しました。

新聞は今より小さく、ページ数も4ページ、すべてにふりがながつき、絵入りで定価1銭、1日平均部数は約1,000部。わかりやすく、親しみやすい大衆向け新聞を目指していきました。それを率いていたのが村山龍平です。そしてまもなく上野理一が共同経営者となります。

自由民権運動や国会開設運動が盛り上がる中、政府に逆らうような言論は厳しく取り締まられ、朝日新聞も一時発行停止になったことが何度もありました。

創刊から3年後、編集方針として「報道中心主義」と「公平無私(いろんな主張を平等に取り上げること)」をかかげました。これはいろいろな派閥の主張を代弁するような新聞が主流だった当時では珍しいもので、その精神は現在の朝日新聞にも受け継がれています。

88年(明治21年)には、東京へ進出して東京朝日新聞を発刊。さらに、記者の欧米派遣、輪転機の導入など、いずれも日本の新聞界では初めての試みを実現させ、今日の新聞の原型を生み出しました。

また、細密で迫力のある図版や本格的な連載小説を掲載するなど、常に新しい新聞づくりに挑戦し、人々に受け入れられていきました。

朝日新聞社の歩み

1879.1.25 朝日新聞第一号、大阪で創刊
1888.7.10 東京朝日新聞創刊
1904.1.5 「天声人語」開始
1907.4.1 夏目漱石が入社。以降、すべての小説を朝日新聞に連載
1915.8.18 朝日主催の第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)を開催
1935.11.25 九州支社に続いて、名古屋支社で発行開始、全国紙の態勢が整う
1937.4.6 朝日新聞の飛行機「神風」号、アジア・ヨーロッパ連絡飛行で新記録を達成
1945.11.7 敗戦をうけ、「国民と共に立たん」、社説「新聞の新たなる使命」を掲載
1949.11.30 「夕刊朝日新聞」に長谷川町子の漫画「サザエさん」の連載始まる
1955.10.1 難局学術探検事務所を置く。以降、南極観測を支援
1980.9.23 東京本社が築地に移転。翌日からコンピューターによる新聞製作が始まる
1988.6.18 リクルート関連会社と川崎市助役の汚職疑惑をスクープ。その後も「調査報道」に力を入れる
1995.8.10 ネットニュースサイト「アサヒ・コム」を開設。2011年5月18日、有料ニュースサービス「朝日新聞デジタル」を創刊
2011.7.13 3月の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故をうけ、社説特集「原発ゼロ社会への提言」を掲載。10月3日からは「プロメテウスの罠」を長期連載。

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