おしごとはくぶつかん

国産第1号物語こくさんだいいちごうものがたり «第4回»

  • 明治めいじ
  • 大正たいしょう
  • 昭和しょうわ
  • 平成へいせい

鉛筆(えんぴつ)

局用鉛筆(きょくようえんぴつ)には、1(ごう)(2(ビー))、2(ごう)HB(エイチビー))、3(ごう)(2(エイチ))の3種類(しゅるい)があった。B(ビー)(ブラック)は()さを、(エイチ)(ハード)は(しん)(かた)さを(あらわ)す。HB(エイチビー)はその中間(ちゅうかん)
1887(ねん)明治(めいじ)20(ねん)
鉛筆(えんぴつ)
眞崎鉛筆製造所(まさきえんぴつせいぞうしょ)
現在(げんざい)三菱鉛筆(みつびしえんぴつ)
原料(げんりょう)黒鉛(こくえん)粘土(ねんど)()
(ふで)(すみ)よりずっと手軽(てがる)()ける
東京(とうきょう)新宿御苑(しんじゅくぎょえん)(ちか)くにある内藤児童遊園(ないとうじどうゆうえん)一角(いっかく)に「鉛筆(えんぴつ)()」が()つ。そこには当時(とうじ)眞崎鉛筆製造所(まさきえんぴつせいぞうしょ)工場(こうじょう)姿(すがた)(えが)かれている
写真 三菱鉛筆
明治(めいじ)(はじ)め、日本(にほん)筆記具(ひっきぐ)(ふで)(すみ)主流(しゅりゅう)だった。眞崎仁六(まさきにろく)は、1878(ねん)明治(めいじ)11(ねん))、(つと)(さき)からパリの万国博覧会(ばんこくはくらんかい)派遣(はけん)された。展示(てんじ)されたさまざまな外国製工業製品(がいこくせいこうぎょうせいひん)(おどろ)かされたが、なかでも鉛筆(えんぴつ)衝撃(しょうげき)()け、帰国後(きこくご)一人(ひとり)鉛筆(えんぴつ)製造(せいぞう)(いど)んだ。
鉛筆(えんぴつ)(しん)使(つか)える黒鉛(こくえん)粘土(ねんど)(もと)めて(はし)(まわ)り、原料(げんりょう)()具合(ぐあい)()くときの温度(おんど)試行錯誤(しこうさくご)()(かえ)しだった。その結果(けっか)、87(ねん)、ついに工場(こうじょう)での鉛筆(えんぴつ)製造(せいぞう)(はじ)まった。機械(きかい)(うご)かす(ちから)は、水車(すいしゃ)(まわ)玉川上水(たまがわじょうすい)支流(しりゅう)(なが)れ(水力(すいりょく))だった。
当初(とうしょ)鉛筆(えんぴつ)はなかなか()れなかったが、1901(ねん)逓信省(ていしんしょう)現在(げんざい)日本(にっぽん)郵政(ゆうせい)グループ)が全国(ぜんこく)郵便局(ゆうびんきょく)使(つか)う「局用鉛筆(きょくようえんぴつ)」に採用(さいよう)すると人気(にんき)()て、()ぶように()(はじ)めたそうだ。
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