手軽に乗って通勤や買い物に便利!
2人乗りでさっそうと都心を走るスクーター。車種は富士重工業のラビットS-12(1951年、東京・数寄屋橋付近で)
写真 富士重工業(上)朝日新聞社(下)
初の国産スクーターを開発した会社の前身は、戦争中に数々の名機をつくった中島飛行機だ。1945年の敗戦とともに、アメリカを中心としたGHQ軍政部の管理下に置かれ、一切の操業を停止。事実上解散となった。
残った太田工場と三鷹工場は富士産業と名前を変え、自転車や小型発動機などをつくっていた。そんなときにある社員の目についたのが、アメリカ製スクーターだ。借りてきて分解、研究を開始した。
その結果、46年8月にラビットS-1型の誕生となった。太田─三鷹間の連絡には走行試験も兼ねてラビットを使った。往復160㎞弱を6時間半で軽快に走る姿に沿道で人気が上昇。68年に製造を打ち切るまで63万台以上を生産したという。