おしごとはくぶつかん

国産第1号物語こくさんだいいちごうものがたり «第10回»

  • 明治めいじ
  • 大正たいしょう
  • 昭和しょうわ
  • 平成へいせい

スクーター

ラビット(エス)‐1(がた)試作品(しさくひん)は、車体(しゃたい)太田工場(おおたこうじょう)、エンジンを三鷹工場(みたかこうじょう)分担(ぶんたん)してつくられた
1946(ねん)昭和(しょうわ)21(ねん)
ラビットS(エス)-1 (がた)
富士重工業(ふじじゅうこうぎょう)
全長(ぜんちょう)】1m55㎝
重量(じゅうりょう)】75㎏
手軽(てがる)()って通勤(つうきん)()(もの)便利(べんり)
2人(ふたり)()りでさっそうと都心(としん)(はし)るスクーター。車種(しゃしゅ)富士重(ふじじゅう)工業(こうぎょう)のラビットS(エス)-12(1951(ねん)東京(とうきょう)数寄屋橋付近(すきやばしふきん)で)
写真 富士重工業(上)朝日新聞社(下)
(はつ)国産(こくさん)スクーターを開発(かいはつ)した会社(かいしゃ)前身(ぜんしん)は、(せん)争中(そうちゅう)数々(かずかず)名機(めいき)をつくった中島飛行機(なかじまひこうき)だ。1945(ねん)敗戦(はいせん)とともに、アメリカを中心(ちゅうしん)とした(ジー)(エイチ)(キュー)(ぐん)政部(せいぶ)管理下(かんりか)()かれ、一切(いっさい)操業(そうぎょう)停止(ていし)事実上(じじつじょう)解散(かいさん)となった。
(のこ)った太田工場(おおたこうじょう)三鷹工場(みたかこうじょう)富士産業(ふじさんぎょう)名前(なまえ)()え、自転車(じてんしゃ)小型発動機(こがたはつどうき)などをつくっていた。そんなときにある社員(しゃいん)()についたのが、アメリカ(せい)スクーターだ。()りてきて分解(ぶんかい)研究(けんきゅう)開始(かいし)した。
その結果(けっか)、46(ねん)8(がつ)にラビットS(エス)-1(がた)誕生(たんじょう)となった。太田(おおた)三鷹間(みたかかん)連絡(れんらく)には走行試験(そうこうしけん)()ねてラビットを使(つか)った。往復(おうふく)160㎞(じゃく)を6時間半(じかんはん)軽快(けいかい)(はし)姿(すがた)沿道(えんどう)人気(にんき)上昇(じょうしょう)。68(ねん)製造(せいぞう)()()るまで63万台以上(まんだいいじょう)生産(せいさん)したという。
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