懐中時計から腕時計の時代へ!
1900年代の服部時計店。その後、建て直されたが、時計塔は今も東京・銀座4丁目のシンボルタワーとなっている
写真 セイコーウオッチ
服部金太郎は、1860年、京橋采女町(現在の銀座4丁目近く)で生まれた。近くの雑貨問屋に13歳で奉公に出た後、近所の時計商に転職した。
81年、21歳の若さで「服部時計店」を創業。仕入れた古時計を修繕して懸命に売った。しかし、83年に火事に巻き込まれて無一文に。それでも店を再開し、海外の新型時計を真っ先に手に入れ評判を呼んだ。
90年代には精工舎を設立し、時計の製造を開始。掛け時計からスタートして、95年には懐中時計の製造にも成功。1907年に、帝大(現在の東大など)の卒業式で首席など優秀な成績の学生に贈られる銀時計に指定されて、さらに評価が高まった。
そして13年、日本初の腕時計「ローレル」12型を生産するに至ったというわけだ。